死後の世界と自殺 「我々はどこへからきて、どこへいくのか」
死後の世界とは
死後の世界ってあると思います?
私はあるかもしれないと思ってます。
とはいっても、スピリチュアルのいう死後の世界や、宗教の言う天国や地獄は信じてないです。
良いことをすると死後の世界でよい思いができますっていうアレです。
「よいこと」の定義は宗教によって異なりますが、どの宗教も、その宗教的に定義されてる「よいこと」をすると死んだあと天国に行けるよ、ってやつです。
個人的には宗教には信者を統制して、宗教のおえらいさんの都合のよいように生きてほしいのですが、信者がそれをしたところで出せる褒美はない。
だから「死んだあと」なんていう確かめようのないことを褒美にして人を従わせるために死後の世界や天国とか言い出したのかなって思ってます。
ペテンじゃん!
そんなわけで天国や地獄は大嘘だと思うんですが、”死後の世界”、つまり人体が生命活動を停止した後も意識のようなものがあることは、否定できないと思っています。
死後の世界と量子力学
量子力学的に考えると、死後の世界はある可能性が高いそうです。量子力学とか言われてもサッパリですが‥。
下記の動画が分かりやすかったです。
短くてわかりやすいです。
私は文系なんでちょっとあやしげな理解ですが、
- 人間の脳みそには量子コンピュータと似たような作りがありますよ。
(量子コンピュータの説明が難しすぎて文系農にはサッパリなんですが、
動画によると量子コンピュータはつながっていない、離れた回路同士が作用しあうらしい)
- 人間の意識は、人間の脳みそだけで完結してるわけではないですよ。
- 人間の意識は宇宙ともつながっていて、生命活動を終えたら宇宙に帰りますよ。
- 脳みそが停止しても「意思」は消滅しないですよ。
という内容のようです。列挙すると突飛に感じるんですが、動画を見るとなるほど~~という感じです。
一分一秒でも長生きすることに価値があるのか
死後の世界がないのであれば一分一秒でも長く生きることに「価値がない」と言い切れます。
「生きてることが素晴らしい、生まれてくることは素晴らしい」
という主張をする人がいますね。まあ自分が生まれこれてうれしい、生きててうれしいって勝手に思ってる分にはどうでもいいんですが、
この意見を他人にも押し付けてくる人って多くないですか?自殺が「ダメなこと」だと思ってて、自殺者を止めようとする人たちです。
「自殺はいけないことだよ!生きていればいいことある!生まれてきたことに意味がある!死んじゃダメです!」とかいうアレです。
そりゃあ電車に飛び込んだりビルから飛び降りたりして人に迷惑をかけるのはダメですよ。借家で首つっても大家さんに迷惑が掛かりますし。
ただ、「自ら死ぬ」ということ自体はダメなことでも悪でもないと思います。生きているほうがつらいのであれば死ぬ。何が悪いのかわかりません。
生きていればいいことがあるかもしれませんが、悪いこともある。良いことを享受するより、悪いことを恐れて命を絶つ。いいじゃないですか。
「自殺する時は正常な判断じゃなかった」だなんて、他人に私の意思を捻じ曲げられたくありません。
ただ、「あなたに死なれると悲しい、困る。だから死なないでほしい。」っていうのは理解できますよ。ダメじゃないけど死なないでほしいっていうのは自殺がダメなことだからしちゃダメ!っていう主張とは別物です。
この人たちの根拠なき「生きていることがよいこと」という思想とそれを他人に平気で押し付けて行動や言論を制限しようとするところ(してる自覚もないと思いますが)、はっきり言って気持ち悪いです。
根拠もなく人の行動を縛る、傲慢で思いやりのない人間だと思いますね。↓みたいな感じです。
ごきぶりを叩き殺さないとき、それはごきぶりを大事だと思っているからではなく、なんか気持ち悪いから。それと同じで、死にたい人間に「生きないと!」と声をかけるのは、死ぬという事は何か良くないものだから、というだけで別にその人自体が大事だからしているわけではない。声かけが響かない理由。
— psalm (@psalm927) August 10, 2016
死後の世界があるなら、「生きている」それだけにも価値が出る
しかし、どうやら死後の世界は存在するらしい、となると「生きていること、ただそれだけ」にも価値があるかのうせいもあります
仮にあると仮定した死後の世界があまりにもクソな世界であるならば、一刻でも長くこの世にとどまることは意義のあることですよね。
あながちなくはないのではないかと思います。生き物って死ぬのを怖がりますよね。
本能だからといえばそれまでなんですが、もしかして、死後の世界(というか、脳みそが生ていない意識?が存在する世界)がものすごく理不尽で、恐怖と苦痛と哀しみに満ちていて、無意識にそれを覚えているから生物は死にたがらないのでは?
と妄想すると、死への恐怖もわかる気がします。
人間だけが唯一自殺をするのは、知能が発達し、無意識を意識が凌駕するからかな…とか。
とはいえ、自殺したら地獄ゆきっていうのはデマというか、支配者階層がつくりたもうた嘘だと思います。だってつらいからって農民たちにばったばった死なれたら、彼らのごはんはだれが作るんですか?ってことですよ。だから死んでもらっちゃ困るので死後を縛ることで禁止しただけだと思います。
それを真に受けて「自殺したら地獄ゆき!」とか言って追いつめられた人をさらに追い詰める人は、本当に人間として屑だと思います。
「我々はどこへからきて、どこへいくのか」ってなんかかっこよさげなんですが、
ここでいいう”我々”って”意識”のことだと思うんですよね。私を私足らしめているのって意識だと思うので。
きっとそう思う人が多いので重度の認知症や精神障害の人の安楽死という議論が出てくるんだと思います。意識がなければもうその人ではない=生きていないって考えだと思うので。
死後の世界があるということは、生命活動を停止しても意識は消滅できない。
「我々はどこからも来ていないし、どこへも行けない。」ということになるような気がして…。
死んだほうがマシだ!っていう、死で良いことからも悪いことからも解放されることも無理なんじゃ…
存在するということから逃げられないのでは…
そう思うと絶望的な気持ちになります
消えて楽になりたいです